はじめに出発点は定番、従属変数と交互項をずらす
「災害リスクは不動産価格に織り込まれているか」は、早慶・MARCH の文系学部でも書きやすい定番テーマで、洪水浸水想定区域や地震動を説明変数にしたヘドニック回帰の卒論は数多い。ただし多くは価格の平均が下がるかで終わる。ここでは説明変数もデータもそのままに、どの物件で効くのか/数量に出るのか/品質と代替するのかへと問いをずらした 3 本を並べる。
H-A 規模との交互作用
割引はワンルームでも起きるのか。面積帯ごとに割引率を推定する。
H-B 市場の厚み
浸水区域の地区は、情報公表後に売買されにくくなったのか。価格ではなく件数を見る。
H-C 築年との代替
割引は新築でも起きるのか。リスクと建物品質の代替関係を見る。
いずれも成約価格を除く取引価格のみを使用(成約価格は 2021 年以降しか収録がなく、時系列の水準が途中で変わるため)。
H-Aリスクの割引は、狭い住戸ではほぼ消える
ずらし方:本編は「浸水区域内なら平均 −8%」で終わる。ここでは浸水ダミー×面積帯の交互項をとり、同じ区域内でも面積で割引が変わるかを見る。投資用ワンルームは賃料相場で価格が決まりやすく、ハザード情報の重みが小さいのではないか、という読み。
| 面積帯 | 割引率 | 95%区間 | N |
|---|---|---|---|
| 30㎡以下 | +1.1% | (-3.2, +5.5) | 65,393 |
| 31-60㎡ | -6.3% *** | (-10.3, -2.1) | 73,829 |
| 61-90㎡ | -8.6% *** | (-12.8, -4.2) | 64,903 |
| 91-120㎡ | -10.9% *** | (-15.2, -6.4) | 24,998 |
| 121-200㎡ | -7.7% *** | (-12.4, -2.7) | 19,488 |
| 201㎡以上 | -7.8% *** | (-13.0, -2.3) | 15,324 |
N=263,751、地区 894。面積帯ごとに浸水ダミーとの交互項を取っているので、各棒がその帯の割引率になる。30㎡以下はゼロ近傍、31㎡以上で有意にマイナス、91-120㎡で最も大きい。「リスクは効くか」ではなく「どの価格帯の買い手が反応するか」という形に問いを置き換えたのがこの節の狙い。ただし面積と物件種別(ワンルーム/ファミリー/戸建)は強く相関するため、種別効果と完全には分離できていない。
H-Bそれでも、売買は減らない
ずらし方:価格ではなく取引件数を被説明変数にする。リスク情報が出ると買い手が市場から退出する(=流動性が落ちる)のか、価格だけで調整して取引は続くのかを、地区FE+年FEの差の差で見る。
| 年 | 区域外 | 区域内 | 差 |
|---|---|---|---|
| 2015 | 100.0 | 100.0 | +0.0 |
| 2016 | 99.6 | 101.2 | +1.6 |
| 2017 | 98.4 | 98.7 | +0.3 |
| 2018 | 98.4 | 102.1 | +3.7 |
| 2019 | 98.4 | 105.9 | +7.5 |
| 2020 | 110.1 | 117.5 | +7.4 |
| 2021 | 112.3 | 119.3 | +7.0 |
| 2022 | 101.5 | 109.2 | +7.7 |
| 2023 | 98.7 | 109.2 | +10.5 |
| 2024 | 103.1 | 110.7 | +7.6 |
| 2025 | 101.0 | 113.0 | +12.0 |
地区×年の取引件数の平均を 2015 年=100 に指数化(1 地区あたり年平均 28 件)。推定は log(件数) を地区FE+年FEに回帰(地区 894、N=9,474)。指数は区域内がわずかに上回る程度で、情報公表は取引を止めていない。効果はゼロ近傍で、CI は概ね ±5% より大きな減少を否定する。H-A(価格は反応)と合わせると「価格で調整し、量では退出しない」という読みになる。
H-C割引は中古で大きく、新築では消える
ずらし方:リスクの主効果ではなく、リスク×築年の交互作用を見る。新築は建物の品質・設備・ブランドで買われるためハザード情報の重みが小さく、中古は土地の条件が価格を決めるためリスクが効きやすい、という仮説。
| 築年帯 | 割引率 | 95%区間 | N |
|---|---|---|---|
| 新築 | +0.3% | (-3.6, +4.4) | 28,154 |
| 1-5年 | -3.1% | (-6.9, +0.8) | 21,055 |
| 6-10年 | -5.6% *** | (-9.4, -1.6) | 29,145 |
| 11-20年 | -7.5% *** | (-11.1, -3.8) | 57,517 |
| 21-30年 | -7.0% *** | (-10.8, -3.1) | 34,044 |
| 31年以上 | -5.3% ** | (-9.5, -0.9) | 52,227 |
建物付き取引(マンション・戸建・事業用)のみ、N=222,012・地区 891。各点がその築年帯の割引率。新築の点推定はゼロ近傍、中古は −5〜−7% で有意。「リスクは建物の新しさで代替される」と読めるが、新築は浸水区域での再開発として供給される側面もあり、因果とは言い切れない。
まとめ3 本を並べると見えること
| 仮説 | 従属変数 | 結果 | 読み |
|---|---|---|---|
| H-A 規模との交互作用 | ㎡単価(面積帯別の割引) | 30㎡以下 +1.1% / 91-120㎡ -10.9% | 狭い住戸では織り込まれない |
| H-B 市場の厚み | 地区×年の取引件数 | +3.2%(p=0.123) | 量は減らない(ゼロ近傍) |
| H-C 築年との代替 | ㎡単価(築年帯別の割引) | 新築 +0.3% / 11-20年 -7.5% | リスクは建物品質で代替 |
3 本とも「災害リスク×不動産価格」の同じ土俵にありながら、規模・数量・品質という別の軸に交互させている。卒論としての新規性は、データを増やすのではなく同じデータの別の側面を測ることで出している。
方法メモ推定と限界
- データ:国土交通省「不動産情報ライブラリ」の取引価格(東京都23区、2015Q1–2025Q4、成約価格を除く 263,751 件)。ハザードは国土数値情報(洪水浸水想定区域 A31a・津波 A40・土砂災害警戒区域 A33)、荒川水系は荒川下流河川事務所のラスタ、地震動は J-SHIS の 30 年以内震度6弱以上確率(250m メッシュ)。町丁目座標は国土地理院 住所検索 API。
- 共通の推定式:log(㎡単価) を、浸水ダミー×(面積帯 or 築年帯)+統制変数(面積・築年・駅距離・構造・用途・都市計画・前面道路等)+市区町村FE+四半期FEに回帰。標準誤差は地区クラスタ。
- H-A:面積帯と物件種別が強く相関するため、種別固有の効果を完全には除けない。また 30㎡以下には投資用ワンルームが多く、買い手の属性(事業者か個人か)は観察できない。
- H-B:取引件数はボランティア報告に基づくため、報告率の変化と区別できない。件数の水準は地区の面積・人口に比例するので、地区FE+年FEの差の差で識別している。
- H-C:築年は建築年から算出。新築(築0年)は供給側の立地選択(再開発)と相関するため、因果効果ではなく記述的な異質性として読む。
- 限界:ハザードは時間不変のため主効果は地区FEと分離できず、交互項で識別している。液状化・賃料・リースはデータ制約で対象外。
推定・作図は src/extra_hypotheses.py、Excel 版(ネイティブグラフ)は out/excel/追加仮説_グラフ.xlsx、数値の元データは out/table/x1〜x3_*.csv。すべてスクリプトから再生成できる。